カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1件の記事

2012年4月12日 (木)

ミドリ物質

01

こちら南関東界隈では花見のシーズンも去りつつあり、昨日は花散らしの雨が降った。
辺りを見まわすと、桜の花びらがひらひらと舞い、ぬかるんだ道ばたにそっと身を浸す。

毎年お決まりの光景だけれど、年々この季節が来るのが待ち遠しいのと同時に、
たった数週間しか訪れない奇跡のような日々が過ぎ去ってしまうのを厭う気持ちのためか、
少しばかり憂鬱な気分に襲われたりもするのである。

02

桜が散り終えてから五月中旬ころまでの、ほんのひと月。
冬の殺風景な季節をなんとかかんとかやり過ごし、ここぞとばかりに集まる鳥たちに冬の糧など与えつつ、
不要な枝を切り詰め、落ち葉や食べかすなんぞから拵えた堆肥を土に鋤き込み、
出てくるのかこないのかとんと要領の得ない鉢々に凍
てつく早朝から水など注ぎ、

・・・等々の無償の労働をほぼ毎日のように自分に仕向けさせるのは、
ただただこの季節だけのためなのだ。

05

あたりに立ち込めるこのあからさまに卑猥かつ濃厚な春の匂い。
いや、「春」などというひどく汚れきった抽象用語などこのさいどうでもいい。
深く地面の奥や死んだ棒切れにしか見えなかった枝々から、
俄かに緑色した不定形の成分たちがわさわさと押し寄せ、
次々とそれぞれのフォルムに収斂されてゆく眩暈を起こしそうなそのスピードと、
決してたがわぬその正確さ。

07

こちらはただおろおろと狼狽えつつ、
じっと眼を見開いてまんじりともせず挙句その場に座りこむ以外にすべはないようなのだ。

寒いあいだ元気のないように見えたうなだれた葉がふと気づくとわんさと繁りつつ光を求めていたり、
昨日何もなかったように思えた場所から今日見るとにょきりと蕾が首をもたげていたり、
ぽっかりと空いていたはずの黒い地面からずっと前からここにいましたよとばかりに幼い葉がちょこんと陣取っていたり。

10

この、いつだってわれわれの意表を突くのに長じた「ミドリ物質」たち。
日に日にその凶暴性を顕にしつつ、
ある時からは「もともとこんなでしたけど」とでも言わんばかりのふてぶてしさで己の存在を希薄化し、
不遜にも万物の長を自認して恥じぬわれわれの思い上がりを涼やかな風の音に乗せてさやさやと嘲笑うのだ。

11  12

「これら小さな緑たちは、どれも決して植物の一部には思えない。植物の体からあふれ出る寄生虫のように、あるいはどこか外からやって来て木々に取りついた未知の生物のように、緑たちは枯れ枝の隙間から本当に奇跡のように出現するのだ。(中略)
この奇跡はもちろん、ベランダでだけ起きるのではない。公園でも近所の庭先でも、なんならアスファルトの割れ目でも五月は容赦なくその奇跡を起こす。ミドリという名の奇妙な物質は東京中に降り、一気に姿を現してそれぞれの変態を遂げるのだ」
いとうせいこう「ベランダ - 緑は萌える」(『ボタニカル・ライフ』所収)

これは五月、まさに「ミドリ成分」たちの凶暴で奔放な横溢ぶりが最終段階に差しかかるまさにそのときの文章だ。
が、その初期段階が今、この世界で始まりつつあるのだ。

04_2

祝祭。

別だん植物なんかに関心のないだろう人たちにとってもおそらく、
このひと月間ほどその言葉に見合う季節は一年のほかの季節にはないだろう。
いや、ないに違いない、黄金色の収穫の時も含めて。

いわんや、世の植物好きにおいてをや。
晴れたといってはカメラを向け、雨が降ったといっては葉から零れ落ちる水滴をぼんやりと見つめる。
そんな季節がまた始まったのだ。

08

・・・などと似合わぬシリアス・タッチでしたためてみたりして。

ではでは、またまた

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 緑の暮らしへブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)