カテゴリー「経済・政治・国際」の4件の記事

2012年7月 6日 (金)

「任せてブーたれる社会」から「引き受けて考える社会」へ

先日(6月20日)の原発の是非を問う都民投票条例案が自民、公明などの反対多数で否決されたことについて、
代表請求人の宮台真司氏(社会学者、首都大学東京教授)がラジオで語っていたことが印象に残ったので、音源を探し出してきて文字に起こしてみました。
自分は埼玉県民なので部外者といえばそうなのだけれど、この運動に対して到底無関心ではいられなかったので。

01

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社会学者・宮台真司のデイキャッチャーズ・ボイス(TBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ!」内のコーナー)
「都民投票条例案が否決 - この先にある希望」


司会(荒川強啓)
 (表題を受けて)お、これは、今もう愕然としているわけではないんですね?

宮台
 いや、全然ないんですね。まずね、都民投票条例って住民投票条例の一種で、もともとはこれ脱原発条例ではなくて、原発についての住民の意思を表明するというもので、いわゆる拘束型ではなく諮問型といってね、議会はそれを参照するってことだけで拘束される必要はない、というまあその程度のものなんですね。
 で、日本に古くからある誤解は、ポピュリズム(人気主義)じゃないかと。(それは)ちがっていて、これはポピュリズムを抑止するための、巨大なフィクションの繭を取り外すための営みなんです。というのは、住民投票までの3か月間、ワークショップや公開討論会を繰り返しましてね、一部は法令に基づいて役所だとか、事業者(会社)とかから情報を出させ、論点ごとに対立的な立場の専門家を呼んで、徹底して議論を闘わせて、で最後は役人や専門家を排除して、市民たちが決めていくっていうそういうシステムなんですね。
 で、なぜこれが必要なのか、特にフクイチの事故のあと。
 僕たちは巨大なフィクションの繭の中にいることが分かったわけ、絶対安全神話ゆえに追加的津波対策がとれなかったとかね、回らない核燃料サイクルを回るという前提で資産計上してるとかね(笑)、あるいは系統融通をまったくしない垂直統合をまったく変えないまま、でそれは停電しないためには必要だって・・・、ドイツはぜんぶ、垂直統合を解除して発送電分離してるけど停電は日本とおんなじとかいう、まったくデタラメ放題。
 で、こういうデタラメを解除することは実は国益にも資するでしょ? 議会の尊厳の維持にも資するでしょ?
 あの知事さんなんかは「原発は国策だ」、そりゃいいよ。でも国策がね、巨大なフィクションの中でまさにほんとに間違った、歪んだ情報にもとづいて決定される、これがフクイチの事故で明らかになったことでしょ?
 国策を、より国益に資するものにするために必要なのが住民投票のシステムであり、なおかつ各自治体の議会もなにも現実を見ない、それこそ養老さん的には「バカの壁」の中でね(笑)、何も見ないでものを決めてきていた。
 で、これからは地震の活動期ですよ、静穏期であったから原発行政がたまたまうまくいっただけの話ですよ、みたいな話を含めてね、やっぱり「バカの壁」を取り外すことで議会が妥当な決定ができるようになる、議会が妥当な決定をしなかったら議会の威信ってなくなってしまうしね、民主主義も不信の対象になってしまうということなんですね。
 そうしたことを、実はこの都民投票条例のこの署名活動を通じてずいぶん訴えてきたし、ロビイングを通じて議員さんにも訴えてこれた。するとやはりね、毎回すごい手ごたえがあった、ていうのはね、ほとんど、今申し上げた住民投票の意味、ポピュリズムをむしろ解除する、巨大なフィクションの繭の中でデタラメな夢を見てしまうっていうね、これをやめることによって国策や、議会での議決を安定化するってことにポイントがあるんだっていうことをずいぶん広く理解してもらったので、法定署名数の21万を10万以上上越える、32万ぐらい集めたってことになっているんですが。

司会
 だから、条例案がなくても、ここまでの活動ってのは意味があったと

宮台
 当然です。

司会
 でさらに続けていかれるわけでしょ?

宮台
 僕たちは今回の条例を否決した議員さんの名前を公開して、今後はリサーチもして、どうして賛成しなかったのかということも明らかにしていきますので、来年の都議会議員選挙のときに強力な落選運動に結びつけていきたいというふうに思っています。
 ただこれは復讐戦というわけではないんです、僕にとってはね。そうではなくて、落選運動に、推進型の人で条例反対した方々は対抗すればいい。そうすれば、僕らはまた改めて、今申し上げたような住民投票条例の国際標準的な意味、日本でだけ誤解されているポピュリズムだうんぬんかんぬんみたいなね(笑)、ヘタレな議論がありますけども、それを解除するためのね、まあ国際標準的な議論を、ずーっと述べ伝えることができるんですね。

02
「原発」都民投票条例案原案に賛成した議員、反対した議員のリスト。
ツイッターやフェイスブックで広範に拡散された。

司会
 この条例案に反対している議員さんってのは何が理由なんですか?

宮台
 自民党なんかですとね、都知事に連なる形で国策に住民が口を出すべきではないと。
 で公明党なんなかはですね、これも呆れた言い方をしていて、住民投票の選択肢が(原発に賛成か反対かという)二者択一だ、これがよくないとかいってるのね、この公明党さんの議論はパーフェクトにデタラメ。
 いいですか、住民投票の目的は、ワークショップや公開討論会に人々を参加させること、それによって「気づきを通じた民度上昇」、これを図ることなんですね。で、例えば二者択一ではなくて真ん中に「稼動を一部はいいけど一部はよくない」みたいなね、玉虫色の選択肢を入れたらどうなるか分かります? 「じゃオレはその玉虫色でいいや」って思うヤツが増えちゃう、簡単に言えば勉強しない。住民投票にも行くまえの、公開討論会、あるいはワークショップに参加して、「どっちが真実なんだろう」と見極めないでね、どうせオレは適当なものに投票するから、あるいは投票しないからって話になっちゃうんです。二者択一だから、人々は勉強しようと思って情報を獲得するんです。
 でしかもこれはね、さっき言ったように拘束型ではない、議決を拘束しない、議会を自由にしたままです、諮問型なんですからね。住民投票の議決というか結果にね、瑕疵があると思えば議会で堂々と討論して、住民投票の背後にある民意はここが間違っていると言って、また有権者に語りかけて選挙で問えばいいんですよ。

司会
 大切なことじゃないですか。

宮台
 ですよね。ということなので、国策だから住民投票に付するには適さない、これはウソ。住民投票で国策を適切化しないとデタラメが起こるんですよまた。

司会
 だからね、都議会選挙であったとしても区議会選挙であったとしても、争点が分からない、どういうことで投票していったらいいのか分からない有権者がたっくさんいるんですよ。なんかつながりがあるからとか、学校の先輩だからとか、そういう程度での投票である場合があるわけですよ。でそれが投票行動をちゃんと決められるような議論とかちゃんとやってくれるとありがたいんですよ。

宮台
 うんただでもね、封は切られたというか栓は抜かれた状態なんでね、僕も今後静岡、新潟等の後続する住民投票にときどき出かけていってですね、今申し上げたような住民投票の国際標準的な意味について伝える機会を今後も続けていくし、東京等については今後も継続してですね、この都民投票条例案、あるいは改正案に相当するものを出していきたいというふうに思っていて。
 で、議会の選挙ごとに当選運動落選運動に結びつけるような、これも国際標準のやり方ですよね。各議員が住民投票についてどういう「理解」を示しているか、つまりどれくらいの「理解度」があるかどうかってことを投票の参考にしてもらって、「あ、この人は理解していないな」って思ったら落とすというふうにしていく。

03
上の写真と同じくフェイスブック上の「みんなで決めよう「原発」国民投票」さんのページより。
新宿小田急ハルク前での「原発」都民投票の報告街宣。こりゃけっこう目を引きそう ^^;




司会
 さらなる活動、期待しております。

宮台
 はい、よろしくお願いします。

04
騒然とする傍聴席に向かってブーイングのポーズをとる石原慎太郎都知事。
傍聴者提供

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2011年5月 8日 (日)

ミツバチの羽音

もう7、8年くらい前になるけれど、それまで一日ひと箱半(つまり30本)くらい吸い続けてきた煙草をスッパリとやめた。
理由は特にない。単純に、タバコ代がバカらしくなっただけだ。
ひと月に一万円浮くと思ったら、すぐにやめられた。
それまで何年間も、ただの一度も本気でタバコがやめられるなんて思ったこともなかったのに。

ただし困ったのはニコチンが体から完全に抜けきるまでの、いわゆる禁断症状。
これがだいたい一週間におよんだ。
真っ昼間だというのに無性に眠い。そしてだるい。言いようのない無気力感、虚脱感。
そして夜は決まってタバコをふかしている夢。
このまま普通の人間に帰れることはないんじゃないかとさえ思えた。

幸いなことに、その後は一度もタバコの誘惑には屈していない。
あの一週間のうちに万が一、一本でも吸ってしまっていたならば、
おそらく禁煙は不成功に終わったにちがいないと思う。

今さらこんな昔話持ち出して何が言いたいのかというと。
お察しのとおり、一昨日の首相の浜岡原発停止要請へというニュース、これにつなげたいわけです。

この不意打ちじみた首相の決断と身内をも欺く鮮やかな早業には正直驚かされた。
もちろん、かねてから特に浜岡についてはあまりにも立地条件がヤバすぎるということで
とりあえずここだけでも止めてほしい、と強く思っていたので菅さんの決断を断固支持するものです。

そして、この要請に対する地元の反応というやつもボチボチ出てきましたね。

浜岡原発:全面停止へ 「唐突」「英断」…戸惑う地元 - 毎日jp (毎日新聞)

いわく、
「当然の判断」「英断に敬意を」
「あまりにも唐突」「ただの人気取りのパフォーマンス」
「地元にきちんと説明して」「雇用が心配」
・・・などなど。

その中で、お膝元の石原茂雄・御前崎市長は
原発交付金に依存する自治体財政はどうなるのか
国策に従い原発を受け入れてきた自治体はどうなるのか
と声を荒げている、らしい。

御前崎に限らず、原発を誘致しているどこの自治体であっても、
はからずもこの市長さんが暴露なさっている「原発交付金」の多大なる恩恵を受けている。
今現在も事故終息の気配をまったく見せることのない福島第一だってそうです。
だからこそ、いま現在見えない放射能から逃れて避難所で生活なさっている方々の間にも、
国や電気事業者に対する微妙な感情のずれのようなものが感じられるのでしょう、
実際にこれまで交付金や雇用の面で優遇されていた自治体の人たちと、
隣みたいな場所でありながらほとんどそんな恩恵から無縁だった土地の人たちとの間の立ち位置のずれ。

つまり、それまで営々と培われてきたにちがいない地域的な共同体が
原発というごく最近になってやってきた目も眩むような巨大な利権ばらまき装置によって、
おもしろいくらい簡単に分断されてしまったという現実。

石原市長の言うとおり、原子力エネルギー政策は国が断固として推し進めている「国策」です。
したがってこの利権はとどのつまり電力会社ではなく、国家の意思に由来している。

言葉は非常に悪いですが、言ってみればシャブ漬けにされてしまったわけですね、地方が。国家によって。
クスリが欲しいなんて思いもしなかった人にいきなり無理やり注射打っておいて、
禁断症状が出るかと見るやすかさずクスリをちらつかせる。
ほら楽になるよ、とっても楽しいでしょ、と。

シャブ中にさせられた人はクスリがやめられるなんてこれっぽっちも思わない。
たとえすぐそばの人がやめなさいなんて忠告したって逆に、
あんたもこのクスリやったらいいよ、気持ちいいからなんて勧めるようになる。

「原発交付金に依存する自治体財政はどうなるのか」。

そう。その中にどっぷりと漬かってしまっている人には、ソレなしの生活なんてまったく理解の外にちがいない。
タバコ吸ってる人にやめればなんて言ったってたいがい本人は本気でやめられるなんて思ってない。
シャブ中ならなおさらのことで、破滅するまでそのままってことも多い。
それよりタチが悪いのは、本人たちが自分がシャブ中だって自覚さえしていないってことかもしれない。
生まれたときから自分がクスリ漬けだったなんて考えられないのも無理はない。

ただし一昨日の夕方、とうとう賽が投げられた。
禁断症状が出てどんなに七転八倒しようとも、その体からクスリを抜くことにしよう、とご主人さまに勧められたんですね。
そもそもご主人さまの身勝手でシャブ漬けにされたのだけれど、今度は逆にそれを抜けと。
なんとも理不尽で不条理なことだと下の者は思うでしょう。

でもやるんだよ。

やらなきゃしょうがないじゃない。
できなきゃ細胞が破壊されて廃人同様になるか、早々に死ぬかだ。
まさに福島でいま起こっていることを見てみれば、そうだ。

ただし自戒したいのは、この利権の構造に、
こんなふうに第三者的に綴っている自分だってハナっからどっぷりと漬かってしまっているということ。
だって毎日電気使っているわけですからね、加担しちゃってる。
特にわが家はオール電化だ。何をするんだって今や電気電気だ。
否も応もなしに原発のために料金支払ってるってこと。原発にとって役立ってるんですね、僕が毎月払ってる電気料金が。
電気を選べないっていうのも、今のところそういう仕組みなんで仕方がない。
スウェーデンみたいに、原発由来の電気なのか、そうじゃないのかが選べない。
これがとても口惜しい。

先日観た映画、『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ監督)。
さっきの汚い言葉を続けるなら実に30年近くもの間、
シャブ漬けにされるのを拒み続けた人たちを追ったドキュメンタリー映画。
その神々しい人々が必死に守り続ける神々しい瀬戸内海の島、祝島。
ほそぼそとした農業と漁業。これだけが人々の生活の支え。
今までも、そしてずーっとこれからも。ほかのものはなんにもいらない。
たったこれだけの小さな望みが、しかし許されない。

海をへだてたすぐ目と鼻の先に原子力発電所という魅惑的な、そして巨大な「金のなる木」が作られようとしている。
ありとあらゆる手段を使って島民を誘い惑わそうとする電気事業者。
反対運動の代表者の銀行口座にいきなり5億円が振り込まれるなどの荒っぽい、
そして粗っぽい国家の罠を巧みに、しなやかな身のこなしでかわし続ける島のおばちゃんおじちゃんたち。

週に一度島で必ず行われるデモ行進(通算1000回に及ぶ!)はみんな腰が曲がっちゃってるし、
原発反対エイエイオー」の声は思わず笑ってしまうほど弱っちい。
でもその声は、「今のままで島に未来はありますか」とか、「原子力は雇用を増やし、島を活性化します」、
そして「みなさんが心配しておられるような、海が壊れるようなことは絶対にありません
とかっていう船の上から拡声器で無闇にアンプリファイされた声なんかよりずっと、ずっとずっと力強い。

ちなみにこの映画では語られていないけれども、
上関の他の漁協は中国電力と合意し、125.5億円の半分をすでに受け取り、漁業権を放棄したという。
合意の上で注射打たれちゃったってわけですね。

唐突ですが農薬に頼りきった畑をいきなり無農薬にすると、
いわゆる「害虫」たちが大挙して押し寄せてきて作物をボロボロにしてしまうなんて話聞きますね。
本気で無農薬やろうと思ったら、何年間かは収穫が安定しないかもしれないし、
場合によったら収入がほとんど見込めないなんてこともあるかもしれない。
それは、言ってみれば禁煙したときの禁断症状みたいなものじゃないかと素人ながら想像します。

でも、もういつまでも農薬漬けってわけにはいかないんじゃなかろうか。
首相の下した決断がまだ熱を帯びているように思えるここ1、2年が
この国のエネルギー政策の未来を明るいものにするか、暗いものにするかの分水嶺だと思う。

ミツバチのぶんぶんいう羽音が、地球の回転をほんの少しだけ変えるときが来た。

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2009年12月12日 (土)

話題の「クライメイト・ゲート事件」について。

COP15関連の話題をひとつ。というか、私的覚え書き。

最近、こんな聞きなれない言葉がネット上で目に付くようになった。
「クライメイト・ゲート (ClimateGate) 事件」。
といっても、日本のマスコミはあたかも対岸の火事だとでもいうように、
おざなりの反応しか示さなかったようなんですが。

要は、地球温暖化が温室効果ガスなどによる人為的なものであるとする根拠となるデータが
意図的に改竄されていた可能性がある、というのがその趣旨。

「ことの発端は、温暖化の研究で有名な英イーストアングリア大学のコンピューターに何者かが侵入し、研究者らの過去のメールが流出したこと。この分野で著名なフィル・ジョーンズ教授が米研究者らに「気温の低下を隠すトリックを終えた」などと書いたメールを送っていたことが明らかになった。」
(「温暖化、データ改ざん? 研究者のメール見つかる」 日経新聞、12/05)


大学のコンピュータ、ハッキング、メールの流出、前代未聞のスキャンダル、教授の辞任・・・。
なんだか、いかにもありそうなお話なんで、
ふむふむなるほどそんなこともあるかいな、などとはじめは呑気に考えていた。

この世には昨今の急激な温暖化傾向が、
二酸化炭素をはじめとするいわゆる「人為的な温室効果ガス」によってもたらされたものなのでは決してない、
と断言する頭のいい人たちがたくさんいる(いわゆる「温暖化懐疑派」)。

そもそも、データそのものが間違っているのだとする人たちや、
データはそのとおりだとしてもその読み方に問題あり、とする人たち。
あるいはむしろ「寒冷化」にこの地球は向かっているのだ、という人たちなど。

たとえば、『「地球温暖化」論に騙されるな ! 』 / 丸山茂徳 (講談社, 2008) などを参照。

こういう人たちにとってみれば、今回のこの事件は「ホレ見たことか」となったことだろう。

しかしそもそも、地球温暖化についてのデータの膨大な積み重ねが、
このジョーンズ教授やその「メル友」だけでなされてきたなんてことはありえないだろう。

しかもこの絶妙のタイミングは、いったいどういうことなのか。
まさに今行われているCOP15の開催に合わせるように、とってつけたように出てきたこのお話。

こうなると、何が信じられて何が信じられないのか、さっぱり分からなくなる。
このスキャンダル自体、COP15を混乱させるための陰謀なのではないかと勘繰りたくなる。
今回のこの「クライメイト・ゲート事件」そのものがでっち上げなのではないのか、
という考えだって、あながち突飛なものではないのではないか。
そもそも、フィル・ジョーンズ博士なる人物自体、「温暖化懐疑派」の回し者でないと、誰が断言できるだろう。

今回の一連のお話を見ていて思い出すこと。
喩え話として適当であるかどうか知らないが、
ずいぶん前、毎日新聞のスクープで発覚したいわゆる「旧石器捏造事件」。

詳細は省くが、確かにあの藤村新一なるアマチュア考古学研究家の発掘した数々の石器は捏造であった。
というか、発掘それ自体がうそっぱちだった。
ただ、それが一直線に「だから日本には旧石器時代に石器などなかったのだ」という「証明」にはならないではないか、ということだ。

今回の一連の騒動、ジョーンズ博士の研究データそのものが「捏造」であったとしても、
そのことのみによってただちに「だから温暖化なぞはじめからインチキなのだ」と言いきれる人がいるとしたら、
その人はとてもシアワセな構造の脳みそをお持ちだとしかいいようがない。

自分は科学者でも何でもないのでテキトーなこと書くのだけれど、
確かにごく長い目で見ればこの地球という惑星は寒かったり暖かくなったり、その繰り返し、なのだろう。
しかし問題なのは単なる「温暖化」なのではなく、「すごく急激な温暖化」なのだ。
たとえ今回のいわゆる「ホッケースティック曲線」なるものがでっち上げであったとしても。

これは全く科学的でない話で、単なる「実感」であり「体感」としかいいようがないが、
自分が子供であった30数年前、真夏であっても日中30度を越える日は近年ほど多くはなかった。
まだ四月だというのに、「夏日」を越える気温になる、などといったことが今ほど普通だったろうか。
ここ何年かの夏の尋常でない暑さ、尋常でない豪雨、冬の暖かさ、そして曖昧になってしまった四季の移ろい、
こういったことに無関心、というか無頓着でいられる人が、
しかもかなり大勢存在するということに、慄然とさせられるのだ。

確かに、『地球温暖化論のウソとワナ 』 / 渡辺正・伊藤公紀 (ベストセラーズ、2008) という本のカバーではないが、
「温暖化して本当に困る人はいるのか ?」と考えている人たちはたくさんいるにちがいない。

しかし、「困るか困らないか」は、温暖化がかなり進んでからでないと、
本当には分からないものなのではないだろうか。
それにただ「人」のみが困るの困らないの言ってみてもこの際何も始まるまい。

急激な温暖化は、環境の変化にめっぽう強い人間にではなく (寒かったら着て、暑かったら脱げばいい)、
迅速に移動することの不可能な植物や土壌微生物、もの言えぬ小さな昆虫、
あまりにも無防備な動物たちにより速やかに影響を与えるだろう。

現に、これは証明されている話ではないのでここで持ち出すのもどうかとは思うが、
ミツバチがここのところ激減しているのは、ここ数年の急激な温暖化の影響であるという見方もある。
ミツバチが万が一この世から姿を消せば、植物の受粉を媒介してくれるものがいなくなり、
人間の胃袋に入る野菜の大半がこの世からなくなるだろう。

急激な温暖化は、この世界から生物の多様性をも急激に失わせる、ということ。
生物の多様性のバランスが急激に崩れれば、
最終的には「生態系ピラミッド」の頂点に君臨する人類に相応の影響が出ることは必至であろうということ。
そして、この生物多様性のバランスというやつは、ひどく壊れやすいものであるらしい、ということ。
それがめぐりめぐって人の身に災いとして降りかかってくるのには相当な時間差があるのだ、
ということは、もはや自明なことではなかったのか。

ノン・リグレット・ポリシー (Non Regret Policy) という言葉がある。
いま、地球が急激な温暖化の危機にあると「あえて考えて」、その対策を考え、実行に移すこと。
そのことが何十年、あるいは何百年先、たとえ無駄だったと「証明」される時がきたとしても、
つまり、結果的にこの地球に温暖化の影響などこれっぽっちも観測されなかったとしても、
それはそれでその対策や行為は決して後悔されるべきものではなかろうということを、この言葉は意味している。

この世界が温暖化しようと寒冷化しようと、
そんなこととはお構いなしに有限な化石燃料は着実にその量を減らしているのだから。

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思ったことを書きなぐっただけの、かなりとっちらかった日記になってしまいました。
もう少し推敲の才能があればいいんですが・・・。

ではでは、またまた 

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2009年10月 2日 (金)

崖の上からの革命

広島県福山市の鞆(とも)の浦の埋め立て・架橋事業の免許交付差し止めを求めた訴訟で昨日、
画期的な判決が言い渡されましたね。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/091001/trl0910011224006-n1.htm

「公共の福祉」という名目のもとで、
今までどれほど貴重な日本の共有財産が踏みにじられてきたかについては、
今さら指摘するまでもないでしょう
(有明海のいわゆる「ギロチン」が記憶に新しいところですね)。

政権が民主党に移行するという歴史的転換点から幾日もたたないうちに、
八ッ場ダムその他「ムダな公共事業見直し」問題とはまったく別のところから、
こうした流れに棹を差す動きが明確な形で現れてきたということに嬉しい驚きを禁じ得ません。

この流れに乗って、無駄な道路やダム、空港、
その他もろもろの(カッコ付き)「公共事業」の見直しが
本格化していってくれればいいのですが。

「渋滞解消・下水道整備」などといった「公共の福祉」というニシキの御旗、簡単にいえば屁理屈が、
地元のゼネコンや地域利権誘導型の政治家さんその他もろもろのウゾームゾーによって
いかにもお手軽な「世論の総意」として捏造され、
また記者クラブ経由のマスコミ記事のみを金科玉条のように信奉する
ありがたい保守的な「地域住民の方々」(実は住民の中の一握りでしかないのだが)が
彼らとスクラム(!)を組んで少ないおこぼれに群がるという構図、
今までイヤになるほど見させられてきたこの腐臭漂う構図を、
私たちはいいかげん打ち破らなければならないのです。

これはもう、革命です。

ある程度の不便は引き受けるという強い覚悟のもとに、
「地域住民の総意」という形でこれ以上の無駄な公共事業に「No」を突きつけるということが
可能となる時代になったということです。

一度壊してしまったら回復することのない、もとからあった自然や景観をこれ以上無闇にいじらない
ということだって立派に「公共の福祉」たり得るのだという視点を、
既得権者の方々にも共有していただかなくてはならない日が来ているということだと思いますが、いかがでしょうか。

ともあれ、今回の地裁判決で勝訴を勝ち取った原告団の方々、
ならびに過去のつまらない判例に惑わされることなく
画期的な判断を下した裁判所に心から敬意を表したいと思います。
今後、さまざまな既得権保持者を背後に抱えていらっしゃる広島県知事はじめ工事推進派の方々が
(控訴するなど)ジタバタと時流に抗うことも考えられますが、
今後の推移を注意深く見守っていきたいと考えています。

たまには「エコログ」らしいことを書いてみたくなった Fu でした。
   
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本日の一枚

2009100201

半年ほど前、自宅駐車場の土間コンの一部を無理やりはつって造った4平米ほどのグラス・ガーデン。
イネ科やカレックス系などのグラス類や、オレガノやサルビアなどのハーブ類を植栽し、
砂利敷きにして乾いた雰囲気を出したかったのですが、どうでしょうか。
左上に見える黒い枕木の立水栓まわりは、不器用きわまりない私が四苦八苦して自作したもの。
水道の右側の壁をモッコウバラで覆う計画ですが、どうなることやら。
まだ改良の余地はありますが、お気に入りの一角です。
以上、「ひとり公共土木工事」推進派の Fu でした。

ではでは、またまた 

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